クイーンの「シアー・ハート・アタック」を初めて聴いたときの想い出 [クイーン QUEEN]
実は私が高校生の頃夢中になっていたプログレやハードロックは、その時点で行き詰っていて翳りを見せていたのが、今思えば否めない事実でした。
イエスの「危機」だとか、ピンク・フロイドの「狂気」だとか、ツェッペリンやディープ・パープルの主なアルバムをしょっぱなからガチで聴いていたんで、それ以降これらのプログレやハードロックの分野ではどれを聴いても、ちょいとつまらなく聴こえていたのも事実でした。(涙)
ある日クラスメイトの女の子が「このアルバム聴いてごらんなさいよ~!」などとドヤ顔して貸してくれたのがクイーンのサードアルバムの「シアー・ハート・アタック」でした。
⇒シアー・ハート・アタック
別に好きでも何でもない女の子だったので、「ほんじゃ~借りるねっ!!」とばかり、気軽に借りてレコードに針を落としてしばらくすると、その出来映えの良さに驚いた記憶があります。
「案外凄いな~!!なかなかやるじゃん!」などとたいして知らないくせに、一丁前の評論家気取りで思ったものでした。(笑)
その当時、クィーンは地元のイギリスはもちろん、アメリカでも人気はイマイチだったんです。
そんなクィーンにエールを贈り続けていたのが、当時の日本の私と同年代の女の子たちだったのです。
言われて見ると、当時のクィーンのイデタチは少女マンガに出てくる●●の王子様みたいな雰囲気を醸し出していたからね~。
なので、このアルバム「シアー・ハート・アタック」のことを、「ミーハー・ハート・アタック」などとも揶揄したものでした。^^;
このアルバムの完成度の高さは、私ごときが言うまでもない。
女の子に大人気だったブライアン・メイのギターワークとフレディ・マーキュリーの圧巻のボーカルに固唾を呑んだ方も多いはず。
全般的に完成度が高いアルバムなんだけど、当時イギリスのヒットチャートの第2位まで登りつめたこの「キラー・クィーン」という曲でクィーンの名が不動のものになりつつあった時期でした。
ブルースの影響など微塵もないフレッシュなサウンドを世界中に広めたのが、地元のイギリスでもなくアメリカでも日本のギャルたちだったなんて、案外イカした話ではないでしょうか?
※ ボーカルのフレディ・マーキュリーは1991年に既に他界しました。この場をお借りしてご冥福をお祈りしたいと思います。
イエスの「危機」だとか、ピンク・フロイドの「狂気」だとか、ツェッペリンやディープ・パープルの主なアルバムをしょっぱなからガチで聴いていたんで、それ以降これらのプログレやハードロックの分野ではどれを聴いても、ちょいとつまらなく聴こえていたのも事実でした。(涙)
ある日クラスメイトの女の子が「このアルバム聴いてごらんなさいよ~!」などとドヤ顔して貸してくれたのがクイーンのサードアルバムの「シアー・ハート・アタック」でした。
⇒シアー・ハート・アタック
別に好きでも何でもない女の子だったので、「ほんじゃ~借りるねっ!!」とばかり、気軽に借りてレコードに針を落としてしばらくすると、その出来映えの良さに驚いた記憶があります。
「案外凄いな~!!なかなかやるじゃん!」などとたいして知らないくせに、一丁前の評論家気取りで思ったものでした。(笑)
その当時、クィーンは地元のイギリスはもちろん、アメリカでも人気はイマイチだったんです。
そんなクィーンにエールを贈り続けていたのが、当時の日本の私と同年代の女の子たちだったのです。
言われて見ると、当時のクィーンのイデタチは少女マンガに出てくる●●の王子様みたいな雰囲気を醸し出していたからね~。
なので、このアルバム「シアー・ハート・アタック」のことを、「ミーハー・ハート・アタック」などとも揶揄したものでした。^^;
このアルバムの完成度の高さは、私ごときが言うまでもない。
女の子に大人気だったブライアン・メイのギターワークとフレディ・マーキュリーの圧巻のボーカルに固唾を呑んだ方も多いはず。
全般的に完成度が高いアルバムなんだけど、当時イギリスのヒットチャートの第2位まで登りつめたこの「キラー・クィーン」という曲でクィーンの名が不動のものになりつつあった時期でした。
ブルースの影響など微塵もないフレッシュなサウンドを世界中に広めたのが、地元のイギリスでもなくアメリカでも日本のギャルたちだったなんて、案外イカした話ではないでしょうか?
※ ボーカルのフレディ・マーキュリーは1991年に既に他界しました。この場をお借りしてご冥福をお祈りしたいと思います。
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