スティービー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」にぞっこん惚れた [スティービー・ワンダー]
高校生の頃、音楽に関する情報源が少ない中で、クラスメイトや雑誌、FMラジオなどが主な情報源でした。
どこのラジオ局の何と言う番組だったかすら記憶にないのですが、当時私が好きでかなり参考にさせていただいた評論家が渋谷陽一さんだった。
彼のラジオ番組をかなり欠かさず聴いていた記憶だけが残っています。
で、その番組の中で渋谷陽一さんが紹介してくれたアルバムがスティービー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」。
⇒キー・オブ・ライフ
1976年に発表されたこのアルバムは14週連続して全米1位となり、最優秀音楽賞、グラミー賞を総なめにしたアルバムとして知られています。
当時、渋谷陽一さんがラジオの番組の中で紹介してくれた曲が、「楽園の彼方へ」と次の曲の「今はひとりぼっち」だったこともはっきり覚えていて、すぐにこの曲が好きになったのです。
ですが、小遣いが少ない高校生にとっては2枚組みのLPは高嶺の花でした。(涙)
なので、このアルバムを実際に購入したのは大学生になり、バイト代で中古レコード屋さんで購入した想い出があります。
この2枚組みアルバムは、朝となく昼となく夜となく良く聴いた愛聴盤の一つでした。
実は、このアルバムを購入しても尚、スティービー・ワンダーが盲目であることを知らなかったのです。(汗!)
このアルバムを機にスティービー・ワンダーのそれまでの歴史を遡及して調べ、これらのアルバムも中古レコード屋さんを何軒か徘徊し、購入したのがこちらの2枚のアルバム。
⇒Talking Book
⇒Innervisions
スティービー・ワンダーを「天才」と呼ばない方は少ないが、彼が何回グラミー賞を受賞しただとか、どれだのアルバムを発表してどれだけのセールスを行ったかなどについても、そのことにあまり意味はない。
生まれながらにしての盲目だった彼の父親は、彼が生まれてまもなく母親とのいさかいが原因で家出をしている。
父親がいない黒人の家庭で唯一の希望が5歳の時に母親からプレゼントされた1本のハーモニカだけだったという。
目が見えず孤独に日々を送っていた彼の唯一の心のよりどころが音楽であり、小学校に入ってからはピアノやドラムもすぐにマスターしたらしい。
11歳の頃にモータウンレコードのオーデションに合格し、そのときのレコード会社のミスでジャトキンスという姓がワンダーとなり、天才少年ミュージシャンの「リトル・スティ-ビー・ワンダー」が誕生するに至った。
⇒ジャズ・ソウル~スティーヴィー・ワンダー・ファースト・アルバム
その後の彼は決して順風満帆とも言えず、鳴かず飛ばずの時期を送ったり、声変わりのためにヒットから遠ざかったりもしたのです。
また、2年間音楽界から姿を消して、ボストン大学の音楽講座を受講し、音楽の基礎を学び直したという。
20歳でカムバックしてからの彼の軌跡は周知の通り。
サウンドも冒険心と遊び心がいっぱいだし、メロディーの美しさは、他のミュージシャンでは真似することが出来ないものばかりである。
しかも、彼の音楽には他のミュージシャンにはない「愛」を感じるのは私だけではないはず。
盲目で不遇の少年時代を送った彼の根底にある「愛」こそがいつも彼の創作意欲を駆り立てているようにも思えます。
「天才」というのは特別抜きん出た才能ではなく、自分の思いを音楽と言う形で生涯表現し続けられることにあるような気がします。
どこのラジオ局の何と言う番組だったかすら記憶にないのですが、当時私が好きでかなり参考にさせていただいた評論家が渋谷陽一さんだった。
彼のラジオ番組をかなり欠かさず聴いていた記憶だけが残っています。
で、その番組の中で渋谷陽一さんが紹介してくれたアルバムがスティービー・ワンダーの「キー・オブ・ライフ」。
⇒キー・オブ・ライフ
1976年に発表されたこのアルバムは14週連続して全米1位となり、最優秀音楽賞、グラミー賞を総なめにしたアルバムとして知られています。
当時、渋谷陽一さんがラジオの番組の中で紹介してくれた曲が、「楽園の彼方へ」と次の曲の「今はひとりぼっち」だったこともはっきり覚えていて、すぐにこの曲が好きになったのです。
ですが、小遣いが少ない高校生にとっては2枚組みのLPは高嶺の花でした。(涙)
なので、このアルバムを実際に購入したのは大学生になり、バイト代で中古レコード屋さんで購入した想い出があります。
この2枚組みアルバムは、朝となく昼となく夜となく良く聴いた愛聴盤の一つでした。
実は、このアルバムを購入しても尚、スティービー・ワンダーが盲目であることを知らなかったのです。(汗!)
このアルバムを機にスティービー・ワンダーのそれまでの歴史を遡及して調べ、これらのアルバムも中古レコード屋さんを何軒か徘徊し、購入したのがこちらの2枚のアルバム。
⇒Talking Book
⇒Innervisions
スティービー・ワンダーを「天才」と呼ばない方は少ないが、彼が何回グラミー賞を受賞しただとか、どれだのアルバムを発表してどれだけのセールスを行ったかなどについても、そのことにあまり意味はない。
生まれながらにしての盲目だった彼の父親は、彼が生まれてまもなく母親とのいさかいが原因で家出をしている。
父親がいない黒人の家庭で唯一の希望が5歳の時に母親からプレゼントされた1本のハーモニカだけだったという。
目が見えず孤独に日々を送っていた彼の唯一の心のよりどころが音楽であり、小学校に入ってからはピアノやドラムもすぐにマスターしたらしい。
11歳の頃にモータウンレコードのオーデションに合格し、そのときのレコード会社のミスでジャトキンスという姓がワンダーとなり、天才少年ミュージシャンの「リトル・スティ-ビー・ワンダー」が誕生するに至った。
⇒ジャズ・ソウル~スティーヴィー・ワンダー・ファースト・アルバム
その後の彼は決して順風満帆とも言えず、鳴かず飛ばずの時期を送ったり、声変わりのためにヒットから遠ざかったりもしたのです。
また、2年間音楽界から姿を消して、ボストン大学の音楽講座を受講し、音楽の基礎を学び直したという。
20歳でカムバックしてからの彼の軌跡は周知の通り。
サウンドも冒険心と遊び心がいっぱいだし、メロディーの美しさは、他のミュージシャンでは真似することが出来ないものばかりである。
しかも、彼の音楽には他のミュージシャンにはない「愛」を感じるのは私だけではないはず。
盲目で不遇の少年時代を送った彼の根底にある「愛」こそがいつも彼の創作意欲を駆り立てているようにも思えます。
「天才」というのは特別抜きん出た才能ではなく、自分の思いを音楽と言う形で生涯表現し続けられることにあるような気がします。
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