ビリー・ハーパーの「ブラック・セイント」に聴き惚れた青春時代 [ビリー・ハーパー]
私がJAZZを聴き始めた頃には、ジョン・コルトレーンは既に他界してしまっていました。
なので、JAZZテナーサックス史上最重要人物とされる?彼のアルバムを過去に遡って聴くしかなかったのです。
しかし、この頃には既に「ポスト・コルトレーン」などと称されるサックス・プレーヤーが何人かいまして、その第一人者と言われていたのがビリー・ハーパーでした。
そのハーパーが1975年にイタリアのフリー&アヴァンギャルド系のジャズ・レーベルの「ブラック・セイント」からリリースしたアルバムがレーベルの名前でもある「ブラック・セイント」なんです。
⇒ブラック・セイント
当時私たちはこの手のJAZZを「ブリブリJAZZ」と呼んでいたのですが、まさにその名のごとくテナーサックスをブリブリ・・・と吹く様に圧倒されました。
このアルバムのなかでも私が好きだったのは最後の曲の「コール・オブ・ザ・ワイルド・アンド・ピースフル・ハート」です。
当時はよ~く聴いた曲なんですが、今現在この曲を全部聴くパワーがありません。(涙)
と言うよりは、当時聴きすぎたのかもしれません。
感性を研ぎ澄まして長い曲を聴くには、やはり、若かりしエネルギーが要ります!!
今この曲を改めて聴きますと、当時なんでこの曲に傾倒していたのかが自分でも分りません。^^;
ジャズ喫茶名盤としても知られるハーパー1970年代の代表作! などと言われていて、当時は良く聴いたアルバムなんですが、今は心に全く響きません。
このアルバムを機にイタリアンJAZZが始まったと言われていますが、どうでも良いです。
年を重ねると、こういう得体の知れないエネルギッシュな曲に整合性がなくなるような気がします。
昔は好きでしたが、今となっては、どうでも・・・いいや!と言うアルバムにしか聴こえません。
これも年のせいにして・・・、合掌!!
なので、JAZZテナーサックス史上最重要人物とされる?彼のアルバムを過去に遡って聴くしかなかったのです。
しかし、この頃には既に「ポスト・コルトレーン」などと称されるサックス・プレーヤーが何人かいまして、その第一人者と言われていたのがビリー・ハーパーでした。
そのハーパーが1975年にイタリアのフリー&アヴァンギャルド系のジャズ・レーベルの「ブラック・セイント」からリリースしたアルバムがレーベルの名前でもある「ブラック・セイント」なんです。
⇒ブラック・セイント
当時私たちはこの手のJAZZを「ブリブリJAZZ」と呼んでいたのですが、まさにその名のごとくテナーサックスをブリブリ・・・と吹く様に圧倒されました。
このアルバムのなかでも私が好きだったのは最後の曲の「コール・オブ・ザ・ワイルド・アンド・ピースフル・ハート」です。
当時はよ~く聴いた曲なんですが、今現在この曲を全部聴くパワーがありません。(涙)
と言うよりは、当時聴きすぎたのかもしれません。
感性を研ぎ澄まして長い曲を聴くには、やはり、若かりしエネルギーが要ります!!
今この曲を改めて聴きますと、当時なんでこの曲に傾倒していたのかが自分でも分りません。^^;
ジャズ喫茶名盤としても知られるハーパー1970年代の代表作! などと言われていて、当時は良く聴いたアルバムなんですが、今は心に全く響きません。
このアルバムを機にイタリアンJAZZが始まったと言われていますが、どうでも良いです。
年を重ねると、こういう得体の知れないエネルギッシュな曲に整合性がなくなるような気がします。
昔は好きでしたが、今となっては、どうでも・・・いいや!と言うアルバムにしか聴こえません。
これも年のせいにして・・・、合掌!!
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