マッコイ・タイナーの「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」は元気と勇気が出るアルバムNO1だった! [マッコイ・タイナー]
音楽と言うのは、書いて字のごとく「音が楽しくなければ意味がない」と思い始めたのは、悲しいかな40代に至ってからでした。
若いときは、いろいろな情報で自分自身の「個」を失って、評論家だの、当時親交がある仲間・友達の影響を受けることが多々あります。
それはそれで良いのです。
歴史的名盤だとか、エポックメイキングなアルバム・・・などという陳腐な台詞をすべて消し去って、本当に自分が好きな曲やアルバムを誰はばかることなく聴けるようになったのが、私の場合は40代になってから・・なんです。^^;
遅すぎたのかもしれませんが、紆余も多々しましたし、曲折も多々しました。
そのような中で、19歳で聴いて今も尚好きなアルバムがマッコイ・タイナーの「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」です。
⇒フライ・ウィズ・ザ・ウインド
コルトレーンが亡くなる数年間は、周知のとおりフリージャズに傾倒したアルバムばかりでした。
そのバックで、ひたすらピアノを弾いていたコルトレーン・カルテットの一員であるピアニストのマッコイ・タイナーが、コルトレーンの死後、自分がやりたかった音を追求したアルバムが「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」だったんです。
フュージョン全盛になりつつあるときに、あえてストリングス(管弦楽)を取り入れ、存在感を示した傑作でした。
イントロはクラシックか?と思いきや、ビリー・コブハムのドラムがそれを払拭してくれます。
この曲では、ミスター・ベースマンと謳われたロン・カーターと共にビリー・コブハムがまさに阿修羅のようなビートを打ち出しています。(嬉!)
マッコイ・タイナーのピアノはメロディアスでありながら、冷徹で厳格なイメージを受ける強靭なパルスを送り出してもいます。
基本的には、マッコイ・タイナー、ロン・カーター、ビリー・コブハムのピアノトリオなのですが、そこに明るい兆しを漂わせるのがストリングスであり、ヒューバート・ロウズのフルートの音なのです。
1970年代の全国のジャズ喫茶のリクエストNO1にも輝いたこのアルバムは、今聴いても元気が出ると共に、音が楽しいから音楽と言う当たり前のことをつくづく感じさせてくれるアルバムです。
久しぶりに聴くと、19歳の頃の自分に戻ったような気分がして、改めて元気になったような気がします。
若いときは、いろいろな情報で自分自身の「個」を失って、評論家だの、当時親交がある仲間・友達の影響を受けることが多々あります。
それはそれで良いのです。
歴史的名盤だとか、エポックメイキングなアルバム・・・などという陳腐な台詞をすべて消し去って、本当に自分が好きな曲やアルバムを誰はばかることなく聴けるようになったのが、私の場合は40代になってから・・なんです。^^;
遅すぎたのかもしれませんが、紆余も多々しましたし、曲折も多々しました。
そのような中で、19歳で聴いて今も尚好きなアルバムがマッコイ・タイナーの「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」です。
⇒フライ・ウィズ・ザ・ウインド
コルトレーンが亡くなる数年間は、周知のとおりフリージャズに傾倒したアルバムばかりでした。
そのバックで、ひたすらピアノを弾いていたコルトレーン・カルテットの一員であるピアニストのマッコイ・タイナーが、コルトレーンの死後、自分がやりたかった音を追求したアルバムが「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」だったんです。
フュージョン全盛になりつつあるときに、あえてストリングス(管弦楽)を取り入れ、存在感を示した傑作でした。
イントロはクラシックか?と思いきや、ビリー・コブハムのドラムがそれを払拭してくれます。
この曲では、ミスター・ベースマンと謳われたロン・カーターと共にビリー・コブハムがまさに阿修羅のようなビートを打ち出しています。(嬉!)
マッコイ・タイナーのピアノはメロディアスでありながら、冷徹で厳格なイメージを受ける強靭なパルスを送り出してもいます。
基本的には、マッコイ・タイナー、ロン・カーター、ビリー・コブハムのピアノトリオなのですが、そこに明るい兆しを漂わせるのがストリングスであり、ヒューバート・ロウズのフルートの音なのです。
1970年代の全国のジャズ喫茶のリクエストNO1にも輝いたこのアルバムは、今聴いても元気が出ると共に、音が楽しいから音楽と言う当たり前のことをつくづく感じさせてくれるアルバムです。
久しぶりに聴くと、19歳の頃の自分に戻ったような気分がして、改めて元気になったような気がします。
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